「父が特別養護老人ホームに入ることが決まりました。実家は空き家になるのですが、売った方がいいのでしょうか。それとも残しておいた方がいいのでしょうか」

不動産業界に30年いると、この相談が年々増えているのを実感する。総務省の調査によれば、全国の空き家は約900万戸(2023年時点)。そのうち「その他の住宅」、つまり居住者がいなくなった戸建てやマンションは約385万戸にのぼる。この数字の背景にあるのが、まさに「親の施設入所」だ。

相談者の多くは40代から60代の子世代。親の介護と実家の処分という二つの重い課題を同時に抱え、何から手をつけていいかわからないという方がほとんどだ。今日は、親が施設に入った後の実家をどうするかについて、実務の現場から見た判断基準を整理していきたい。

実家の3つの選択肢を比較する

親が施設に入った後の実家には、大きく3つの選択肢がある。それぞれのメリット・デメリットを一覧で見てみよう。

項目売却賃貸に出す管理して維持
収入・資金売却代金(一括)家賃収入(毎月)なし
維持コストなし(売却後)修繕費・固都税・管理委託料固都税・修繕費・管理費すべて自己負担
施設費用への充当売却代金を施設費用に充当可家賃収入を施設費用に充当別途資金が必要
管理の手間なし管理会社に委託(費用あり)定期的な通風・清掃・草刈りが必要
相続時現金で分割しやすい収益不動産として相続不動産のまま相続(分割で揉めやすい)
親の心理的負担大きい(家を失う喪失感)やや軽い(所有権は残る)小さい(いつか帰れるという安心)
リスク売却タイミングの見極め空室・滞納・修繕特定空家指定・劣化・倒壊
向いているケース施設費用の確保が必要/親が戻る見込みなし立地がよく借り手が見込める親が戻る可能性あり/短期間の空き家

結論から言えば、親が施設に入って戻る見込みがない場合、多くのケースで売却が最も合理的な選択肢になる。理由は後述するが、「管理して維持」は想像以上にコストと手間がかかり、「賃貸に出す」は築古の郊外戸建てでは借り手が見つかりにくい。

ただし、いずれの選択肢にも一長一短がある。以下で詳しく見ていこう。

空き家の維持コスト――放置は最も高くつく

「とりあえず置いておこう」が最も危険な判断だ。空き家は、人が住んでいる家と比べて急速に劣化する。そして維持コストは、住んでいないからといってゼロにはならない。

空き家の年間維持コスト(戸建て・築30年・延床100平米の例)

費用項目年額の目安備考
固定資産税・都市計画税10〜18万円住宅用地特例適用中の金額
火災保険2〜5万円空き家は割増になる保険会社もあり
水道・電気の基本料金3〜5万円通水・通電維持のため完全解約は避けるべき
草刈り・庭木の手入れ5〜15万円業者委託の場合。年2〜3回は必要
建物点検・通風・清掃6〜12万円月1回の巡回を業者に依頼した場合
修繕費(突発対応)5〜10万円雨漏り、配管凍結、害獣侵入など
年間合計31〜65万円遠方の場合は交通費も加算

年間30万〜65万円。10年放置すれば300万〜650万円だ。しかもこの間、建物の価値は下がり続ける。維持コストをかけながら資産価値が目減りしていくという、二重の損失が発生する。

持ち家の維持コストについては「不動産を「持ち続けるコスト」を年間で計算してみる」で詳しく解説している。空き家の場合はこれに管理巡回の費用が上乗せされる。数字で把握しておくことが、冷静な判断の出発点になる。
以前、親御さんが施設に入って5年間空き家のまま放置していたケースを見た。毎月のように「来月こそ片付けよう」と先送りにしていた結果、庭は雑草で覆われ、雨樋が詰まって外壁にカビが広がり、台所の排水管が凍結破裂して床が水浸しになっていた。修繕だけで200万円以上。結局、建物を解体して土地だけで売却することになった。5年間の維持コスト約180万円と合わせると、380万円以上が「先送り」の代償だった。

特定空家に指定されるリスク

2015年に施行された「空家等対策の推進に関する特別措置法」(通称:空家特措法)により、管理不全な空き家は行政から「特定空家」に指定されるリスクがある。2023年の法改正では「管理不全空家」というカテゴリも新設され、空き家への行政の目は年々厳しくなっている。

特定空家に指定されるとどうなるか

  • 固定資産税の住宅用地特例が解除:土地の固定資産税が最大6倍に跳ね上がる。年間10万円だった固定資産税が60万円になるケースも
  • 行政からの助言・指導・勧告・命令:段階的に是正を求められ、従わない場合は過料(50万円以下)
  • 行政代執行による強制解体:最終手段として行政が建物を解体し、その費用(150〜300万円)を所有者に請求する

「管理不全空家」に指定された段階でも固定資産税の特例解除が行われるようになった。つまり、倒壊寸前でなくても、窓が割れている、雑草が繁茂している、外壁が剥落しているといった状態で指定される可能性がある。

特定空家の指定件数は年々増加している。「うちの実家は大丈夫」と思っていても、近隣住民からの通報がきっかけで調査が入ることは珍しくない。特に、庭の雑草や害虫の発生は近隣からの苦情につながりやすい。空き家を放置することは、近隣との関係悪化というリスクも抱えることになる。

認知症と不動産売却――最大の落とし穴

空き家問題で最も深刻な落とし穴がここだ。親が認知症になり判断能力を失うと、その親名義の不動産は原則として売却できなくなる。

不動産の売買契約は法律行為であり、契約の当事者には「意思能力」が必要とされる。認知症が進行して意思能力がないと判断されれば、たとえ子どもが売却を代行しようとしても、その契約は無効になる。

成年後見制度を使うしかないが……

認知症の親の不動産を売却する唯一の合法的な方法が、成年後見制度の利用だ。家庭裁判所に申し立てて後見人を選任してもらい、その後見人が本人に代わって売却手続きを行う。

しかし、この成年後見制度には大きな負担が伴う。

項目内容
申立て費用1〜2万円(収入印紙・切手代等)
鑑定費用5〜10万円(医師による判断能力の鑑定が必要な場合)
弁護士・司法書士費用10〜30万円(申立て手続きの代行を依頼する場合)
後見人報酬月2〜6万円(年間24〜72万円)
期間申立てから選任まで3〜6ヶ月
売却の許可居住用不動産の売却には家庭裁判所の許可が別途必要
制度の終了本人が亡くなるまで原則として終了しない

最も重い負担は後見人報酬が親が存命の間ずっと続くことだ。不動産を売却するためだけに後見人をつけても、売却完了後に制度をやめることはできない。親が90歳で後見人がつき、100歳まで存命なら10年間。年間24〜72万円の報酬を払い続けることになる。

しかも、家庭裁判所が選任する後見人は、必ずしも家族が選ばれるとは限らない。財産額が大きい場合や親族間に争いがある場合は、弁護士や司法書士などの専門職が後見人に選ばれることが多い。

ある相談者は、お母様が施設入所後2年で認知症が進行し、実家を売却しようとした時に「もう契約はできない」と言われた。成年後見の申立てから売却完了まで1年以上かかり、その間も空き家の維持コストは毎月かかり続けた。「施設に入った時点で売却しておけばよかった」と、何度もおっしゃっていた。

親が元気なうちの「生前売却」が最善手

認知症リスクを考えると、親の判断能力が十分にあるうちに売却を進める「生前売却」が最もスムーズで合理的な選択肢だ。

生前売却のメリット

  • 親本人が売買契約の当事者になれる:成年後見制度を使う必要がなく、手続きがシンプル
  • 売却代金を施設費用に充当できる:有料老人ホームの入居一時金(数百万〜数千万円)や月額費用に充てられる
  • 親の意思で進められる:「自分の家をどうするか」を親自身が決めることで、後の家族間トラブルを防げる
  • 空き家の維持コストが発生しない:売却後はすべてのコストから解放される
  • 建物の価値が残っているうちに売れる:築年数が浅いほど、建物の評価額が高い

「でも、親に『家を売ろう』とは言いにくい」という声は非常に多い。確かに、長年住んだ家を売ることは親にとって大きな決断だ。しかし、この問題を先送りにして認知症が進行した場合、売りたくても売れないという最悪の事態になる。

親に切り出す際のコツは、「家を売ろう」ではなく「施設の費用をどう確保するか、一緒に考えよう」というアプローチだ。お金の話から入ることで、「家を手放す」という感情的な問題を、「資金計画」という合理的な問題に置き換えられる。施設の月額費用と年金収入の差額を具体的に示すと、親自身が「家を売って充てた方がいい」と納得するケースも多い。

家族信託という選択肢

「今すぐ売る決断はできないが、認知症リスクには備えておきたい」という場合に有効なのが家族信託(民事信託)だ。

家族信託の仕組み

家族信託とは、親(委託者)が子(受託者)に不動産の管理・処分の権限を信託契約によって託す仕組みだ。信託契約を結んでおけば、その後親の判断能力が低下しても、子どもの判断で不動産を売却できる。

家族信託のコストと手続き

項目費用の目安備考
コンサルティング・契約書作成30〜80万円司法書士・弁護士に依頼
公正証書作成費用3〜10万円信託財産の額による
信託登記費用登録免許税(固定資産税評価額の0.3〜0.4%)+ 司法書士報酬評価額2,000万円なら登録免許税6〜8万円
合計の目安50〜100万円程度不動産の評価額や契約内容により変動

家族信託のメリットと注意点

  • メリット:親の判断能力低下後も、成年後見制度を使わずに不動産を売却できる
  • メリット:成年後見と違い、家庭裁判所の監督を受けない。家族の判断で柔軟に対応できる
  • メリット:後見人報酬のような継続的なコストがかからない
  • 注意点:親の判断能力があるうちに契約する必要がある(認知症になってからでは遅い)
  • 注意点:信託契約の設計が不十分だと、想定外の税務リスクが生じる場合がある
  • 注意点:兄弟姉妹間で受託者を誰にするかで揉めることがある

家族信託の初期費用は50〜100万円と安くはないが、成年後見制度の年間24〜72万円が何年も続くことを考えれば、はるかに合理的な「保険」だ。親が70代のうちに契約しておくことを強く勧める。

相続後に売る場合の「空き家の3,000万円特別控除」

親が亡くなった後に実家を相続し、その後売却する場合、「被相続人の居住用財産(空き家)に係る譲渡所得の特別控除の特例」、いわゆる「空き家の3,000万円特別控除」が使える可能性がある。

適用条件(主なもの)

  • 相続開始の直前に被相続人(親)がその家に一人で住んでいたこと(※施設入所の場合は一定の条件で適用可)
  • 昭和56年5月31日以前に建築された家屋(旧耐震基準)であること
  • 相続から3年を経過する年の12月31日までに売却すること
  • 売却代金が1億円以下であること
  • 建物を耐震リフォームして売るか、建物を解体して更地で売ること(2023年改正で、買主が解体する場合も適用可に)
  • 相続から売却までの間に、賃貸や事業に使用していないこと

この特例が使えれば、譲渡所得(売却益)から最大3,000万円が控除される。築古の実家は取得費が不明なケースも多く、売却代金の95%が譲渡所得とみなされることもあるため、控除の効果は非常に大きい。

注意すべきは「相続から3年以内」という期限だ。「いつか売ろう」と放置しているうちに3年が過ぎてしまい、数百万円の節税機会を逃すケースを何度も見てきた。相続が発生したら、まず「3年以内に売るかどうか」を最初に検討してほしい。税金の詳細は「不動産売却にかかる税金の全体像」も参考にしてほしい。

施設入所と「一人暮らし」要件の関係

この特例は「相続直前に被相続人が一人で住んでいた」ことが原則だが、2019年の法改正で、要介護認定を受けて老人ホーム等に入所していた場合も一定の条件で適用可能になった。ただし、入所中に実家を賃貸に出していた場合は適用されない。「とりあえず賃貸に出そう」という判断が、将来の3,000万円控除の適用を不可能にする場合があるので要注意だ。

売るなら早い方がいい具体的な理由

生前売却にせよ相続後の売却にせよ、「売る」と決めたなら早い方がいい。その理由は明確だ。

理由1:築年数による価値下落

木造戸建ての建物評価は、築20年を超えると急速に下がる。築25年と築35年では建物の評価額に数百万円の差がつくことも珍しくない。土地の価値は残るが、地方や郊外では地価自体が下落傾向にあるエリアも多い。お住まいのエリアの相場は東京都大阪府など、各都道府県のページで確認できる。

理由2:特定空家リスクの増大

前述の通り、管理が行き届かない空き家は特定空家に指定されるリスクがある。指定されれば固定資産税が最大6倍。年間10万円が60万円になる。行政代執行で解体されれば150〜300万円の請求が来る。早期に売却すれば、このリスクは完全にゼロになる。

理由3:認知症リスクの時間的制約

65歳以上の認知症有病率は約15%。85歳以上では約55%にまで上昇する。親が75歳なら、5年後には認知症で売却不能になっている可能性は決して低くない。成年後見制度や家族信託の手配をしていなければ、売却の道が完全に閉ざされる。

理由4:心理的負担の軽減

空き家を抱えている間、「あの家をどうしよう」という心理的負担が常に付きまとう。遠方の場合は管理のために往復する時間と交通費も馬鹿にならない。売却すれば、この精神的・時間的コストから完全に解放される。

30年この仕事をしてきて断言できることがある。空き家の売却で「もっと早く売ればよかった」と言う人は山ほどいるが、「もう少し待てばよかった」と言う人はほとんどいない。時間が経てば経つほど建物は劣化し、維持コストは膨らみ、認知症リスクは高まる。空き家の問題は、「早く動いた人が最も得をする」構造になっている。

実家を売却する前にやっておくべきこと

最後に、実家の売却を具体的に進める際のチェックポイントを整理しておく。

1. 名義の確認

まず、実家の登記簿を確認して名義人を特定する。親の名義であれば親本人が売主になる。祖父母の名義のまま相続登記がされていないケースも意外と多い。2024年4月からは相続登記が義務化されており、放置すると過料の対象にもなる。

2. 荷物の整理(生前整理)

実家には何十年分もの荷物がある。売却前に片付ける必要があるが、これが想像以上に大変だ。業者に依頼する場合、一戸建てで20〜50万円が相場。親が元気なうちに一緒に整理を進めるのが理想だ。

3. 相場の把握

売却を検討する前に、まずは実家がいくらで売れそうかを把握することが先決だ。売却価格シミュレーターで概算を確認するのも一つの手段だ。その上で、地元の不動産会社に訪問査定を依頼すれば、より精度の高い金額がわかる。

4. 兄弟姉妹との合意形成

実家の処分は、兄弟姉妹全員の意見が一致しないと進められない。「売りたい」「残したい」「貸したい」と意見が割れることは珍しくない。親が元気なうちに、親を交えて家族会議を開くのが最善だ。親の意思が明確であれば、兄弟間の揉め事を未然に防げる。

まとめ――「いつか考える」が最大のリスク

親が施設に入った後の実家の問題は、多くの家族にとって「考えたくない問題」だ。家族の思い出が詰まった実家を売ることへの抵抗感、親に「家を売ろう」と切り出すことへの躊躇、兄弟姉妹との意見調整の面倒さ――先送りにしたくなる気持ちはよくわかる。

しかし、先送りの代償は想像以上に大きい。年間30〜65万円の維持コスト。特定空家指定で固定資産税6倍。認知症の進行で売却不能。築年数の経過で売却価格の下落。相続後3年以内の期限切れで3,000万円控除の失効。

これらすべてが「先送り」のコストだ。

反対に、親が元気なうちに家族信託を組んでおく、生前売却で施設費用を確保する、相続後すみやかに売却して特別控除を活用する――いずれも「早く動くこと」が最大のメリットをもたらす選択肢だ。

私がいつも相談者にお伝えしているのは、「完璧な正解を探す必要はない。ただ、何もしないことだけは避けてほしい」ということだ。まずは実家の査定を取ってみる。家族信託について専門家に話を聞いてみる。兄弟姉妹に「実家のことを話し合おう」と声をかけてみる。小さな一歩でいい。その一歩が、数年後に数百万円の差となって返ってくる。

この記事のまとめ

  • 親が施設に入った後の実家には「売却」「賃貸」「管理して維持」の3つの選択肢があり、多くのケースで売却が最も合理的
  • 空き家の年間維持コストは30〜65万円。放置すれば特定空家指定で固定資産税6倍、行政代執行のリスクも
  • 親が認知症になると不動産売却は原則不可能。成年後見制度は年間24〜72万円の報酬が親の存命中ずっと続く
  • 家族信託(初期費用50〜100万円)を親が元気なうちに組んでおけば、認知症後も子どもが売却可能
  • 相続後に売る場合は「空き家の3,000万円特別控除」が使えるが、相続から3年以内の売却が条件
  • 建物の価値下落、特定空家リスク、認知症リスク、心理的負担――すべてが「早く売る」方向を示している
  • 「いつか考える」が最大のリスク。まずは査定を取る、家族信託を調べるなど、小さな一歩を踏み出すことが大切