「売るのはもったいない。賃貸に出せば家賃収入が入るし、資産も残る」——不動産の売却相談を受けると、こう考えている人が非常に多い。気持ちはわかる。毎月の家賃収入は魅力的に見えるし、不動産という実物資産を手放すことへの抵抗感もある。
しかし、実際に10年間の収支を計算すると、結論が変わることが多い。家賃収入の裏には、空室リスク、管理費、修繕費、税金、そして精神的な負担が隠れている。これらを含めた「本当の収支」を把握しないまま賃貸に出して、数年後に「最初から売っておけばよかった」と後悔する人を私は何人も見てきた。
この記事では、売却価格3,000万円のマンションを例に取り、「売却して運用する場合」と「賃貸に出して10年後に売却する場合」の収支を具体的にシミュレーションする。数字で比較すれば、自分にとってどちらが合理的な選択かが見えてくる。
売却した場合のシミュレーション
まず、売却した場合の10年後の資産を計算する。前提条件は以下の通りだ。
- 売却価格:3,000万円
- 仲介手数料:3,000万円 × 3% + 6万円 + 消費税 = 約103万円
- その他諸費用(印紙税・登記費用等):約97万円
- 手取り額:約2,800万円
この2,800万円を年利2%で10年間運用した場合、複利計算で約3,414万円になる。年利2%は、個人向け国債やインデックスファンドの保守的な想定だ。もちろん元本保証ではないが、不動産賃貸にもリスクはある。条件を揃えるために、控えめな運用利回りを採用する。
売却のメリットは明快だ。維持コストがゼロになる。管理の手間もゼロ。精神的な負担もゼロ。まとまった資金が手元に残り、運用先を自由に選べる。流動性が高い状態で資産を保有できる。
賃貸に出した場合のシミュレーション
同じ物件を賃貸に出した場合を計算する。家賃は月12万円(売却価格3,000万円に対して表面利回り4.8%)と設定する。都心の築浅マンションならもう少し高く、郊外や築古なら低くなるが、全国平均的な水準として設定した。
年間の収入
| 項目 | 月額 | 年額 |
|---|---|---|
| 家賃収入(満室時) | 12万円 | 144万円 |
| 空室損失(稼働率90%) | ▲1.2万円 | ▲14.4万円 |
| 実質家賃収入 | 10.8万円 | 129.6万円 |
稼働率90%は楽観的な数字だ。入居者の入れ替わり時には1〜3ヶ月の空室が発生する。10年間で2〜3回の入退去があれば、稼働率90%前後が現実的なラインになる。立地が悪ければ80%を切ることもある。
年間の支出
| 費目 | 月額 | 年額 |
|---|---|---|
| 管理費・修繕積立金 | 3万円 | 36万円 |
| 固定資産税・都市計画税 | — | 15万円 |
| 管理委託料(家賃の5%) | 0.6万円 | 7.2万円 |
| 火災保険料 | — | 2万円 |
| 年間経費合計 | — | 60.2万円 |
ここに加えて、10年間で発生する一時的な費用がある。
| 費目 | 10年間の合計 |
|---|---|
| 設備修繕費(給湯器・エアコン・水回り等) | 100〜200万円 |
| 原状回復費用(入退去2〜3回分) | 60〜120万円 |
| 入居者募集費用(広告料1〜2ヶ月分 × 2〜3回) | 24〜72万円 |
| 一時費用合計 | 184〜392万円 |
設備修繕費は見落とされがちだが、賃貸物件では給湯器やエアコンが故障すれば貸主負担で修理・交換しなければならない。給湯器の交換で15〜30万円、エアコンで10〜15万円、水回りのトラブルで数万〜数十万円。10年間でこれらが積み重なる。
所得税・住民税
賃貸収入は不動産所得として確定申告が必要だ。不動産所得は給与所得と合算して課税されるため、給与所得が高い人ほど税率が上がる。
年間の不動産所得を概算する。実質家賃収入129.6万円から経費60.2万円を差し引くと、不動産所得は約69.4万円。減価償却費を差し引けばもう少し圧縮できるが、ここでは分かりやすくするために省略する。
所得税率が20%(課税所得330〜695万円の場合)+ 住民税10%の場合、不動産所得にかかる税金は年間約20.8万円。10年間で約208万円だ。給与所得が高い人は、さらに税率が上がる。
10年間の比較表
ここまでの数字を整理して、10年間のトータル収支を比較する。賃貸の一時費用は中間値で計算する。
| 項目 | 売却→運用 | 賃貸→10年後売却 |
|---|---|---|
| 初期資金 / 物件価値 | 2,800万円(手取り) | 3,000万円(物件) |
| 10年間の運用益 / 家賃収入 | +614万円 | +1,296万円 |
| 10年間の経費 | 0円 | ▲602万円 |
| 一時費用(修繕・入退去) | 0円 | ▲288万円 |
| 所得税・住民税 | 0円 | ▲208万円 |
| 10年後の物件売却価格 | — | 2,100万円(▲30%想定) |
| 10年後の売却諸費用 | — | ▲76万円 |
| 10年後の手元資産 | 約3,414万円 | 約3,222万円 |
| 差額 | 売却が約192万円有利 | |
賃貸のほうが家賃収入の総額は大きいが、経費・修繕費・税金を差し引き、さらに10年後の物件価値の下落を加味すると、売却して運用したほうが約192万円有利という結果になる。
しかもこの試算は、賃貸側にとって楽観的な前提を置いている。稼働率90%、修繕費は中間値、家賃の下落はゼロと仮定している。現実には、築年数が上がれば家賃も下がる。10年間で家賃が10%下がれば、賃貸の手元資産はさらに130万円ほど減る。
10年後の物件価値はどれだけ下がるか
賃貸に出した場合、10年後にその物件を売却するときの価格がポイントになる。築年数が10年加算されるため、マンションの場合は以下のような値下がりが一般的だ。
- 築10年→築20年:20〜30%の下落
- 築20年→築30年:30〜40%の下落
- 築30年以上:底値に近づくが流動性が大幅に低下
今回のシミュレーションでは30%の下落(3,000万円→2,100万円)を想定したが、立地やマンションの管理状態によってはもっと下がる。逆に、都心の好立地であれば値下がりが小さいケースもある。
管理の手間という見えないコスト
数字に表れないコストも無視できない。入居者からの連絡対応、設備故障時の業者手配、入退去時の立ち会い、確定申告の手間。管理会社に委託すれば日常的な対応は減るが、大きな判断はオーナーがしなければならない。
「不労所得」という言葉があるが、賃貸経営は決して「不労」ではない。特に本業がある人にとって、この精神的な負担は無視できないコストだ。
賃貸が有利になるケース
すべてのケースで売却が正解とは限らない。以下の条件に当てはまる場合は、賃貸のほうが合理的な選択になり得る。
1. 立地が非常に良く空室リスクが低い
駅徒歩5分以内、都心部のマンションなど、賃貸需要が常に強いエリアでは空室リスクが低い。稼働率95%以上を維持できるなら、収支は大きく改善する。ただし、好立地の物件は売却価格も高い。どちらが有利かは具体的に計算する必要がある。
2. 表面利回りが6%以上
家賃に対して物件価格が安い(つまり利回りが高い)場合、賃貸のリターンが売却を上回る可能性がある。ただし、高利回り物件は郊外や築古であることが多く、空室リスクや修繕費が高くなる傾向がある。表面利回りだけで判断してはいけない。
3. 将来の値上がりが見込めるエリア
再開発が予定されている、新駅が建設される、人口流入が続いているなど、将来の資産価値上昇が見込めるエリアでは、保有し続けるメリットがある。ただし「値上がりするはず」という期待と、客観的なデータに基づく見通しは区別すべきだ。
4. 転勤で一時的に離れるだけ(戻る予定がある)
3〜5年の転勤で、その後戻る予定が明確な場合は、定期借家契約で貸し出すのが合理的だ。定期借家なら契約期間の満了で確実に物件が戻ってくる。売却して再購入するよりも、仲介手数料や登記費用を節約できる。
売却が有利になるケース
1. 築20年以上で値下がりが加速する時期
マンションの資産価値は築20年を過ぎると下落ペースが加速する傾向がある。築20年の物件を10年間賃貸に出して築30年で売却するのと、築20年の今売却するのでは、物件価格に大きな差が出る。値下がり分を家賃収入で補えるかどうかが判断の分かれ目だ。
2. 管理費・修繕積立金が高い
管理費・修繕積立金が月4〜5万円を超える物件は、賃貸に出しても経費負担が重く、手残りが少ない。特に、修繕積立金の値上げが予定されている場合は注意が必要だ。長期修繕計画を確認してから判断すべきだ。
3. 遠方にあり管理が困難
物件が遠方にある場合、管理会社に委託するとしても、緊急時の対応やオーナーとしての判断が必要な場面で物理的な距離がハンデになる。トラブル対応のたびに交通費と時間が発生する。
4. まとまった資金が必要
住み替え、教育資金、事業資金など、まとまった資金が必要な場合は売却一択だ。家賃収入は月々の小さなキャッシュフローにすぎない。不動産を担保に借り入れることもできるが、金利負担が発生する。
5. 賃貸需要が弱いエリア
人口減少が進むエリア、最寄り駅から遠い物件、単身者向けなのにファミリー層が多いエリアなど、賃貸需要と物件のミスマッチがある場合は、空室リスクが高い。空室が長引けば、家賃を下げるか、リフォームで差別化するしかない。どちらもコストがかかる。
賃貸に出す前に知っておくべきリスク
入居者トラブル
家賃滞納は賃貸経営の最大のリスクだ。滞納が発生しても、日本の法律ではすぐに退去させることはできない。訴訟から強制執行まで半年以上かかるケースもある。この間、家賃収入はゼロだが、管理費や固定資産税は発生し続ける。
騒音トラブルで隣接住戸から苦情が来る、ペット禁止なのにペットを飼う、退去時に原状回復費用で揉める——こうしたトラブルは珍しくない。管理会社が間に入るとはいえ、最終的な判断と費用負担はオーナーに降りかかる。
確定申告の手間
不動産所得が発生すると確定申告が必要になる。給与所得者でこれまで確定申告をしたことがない人にとっては、収入・経費の記録、減価償却の計算、帳簿の作成は相当な手間だ。税理士に依頼すれば年間5〜10万円の費用が発生する。
設備故障の対応義務
賃貸物件のオーナーには、入居者が生活に支障なく暮らせるよう設備を維持する義務がある。給湯器が壊れれば即日対応が求められる。エアコンが故障すれば修理か交換。水漏れが発生すれば緊急対応。これらはすべてオーナー負担だ。築10年を超えると設備の故障率は確実に上がる。
住宅ローンが残っている場合の問題
住宅ローンは「自分が住むこと」を前提に低金利で貸し出されている。ローンが残っている物件を無断で賃貸に出すと、契約違反として一括返済を求められる可能性がある。金融機関に事前に相談し、承諾を得なければならない。承諾が得られた場合でも、金利が上がるケースがある。
また、住宅ローン控除(住宅借入金等特別控除)は、自分が住んでいることが要件だ。賃貸に出した時点で控除の適用は停止される。
実例:賃貸に出して7年後に売却——結局売却一択だったケース
最初の3年間は順調だった。入居者もトラブルなく、家賃収入は毎月振り込まれていた。しかし3年目に入居者が退去。次の入居者が決まるまで4ヶ月かかった。この間の空室損失は40万円。入居者募集のための広告料(家賃2ヶ月分)で20万円。原状回復費用に35万円。
5年目にエアコン2台と給湯器が故障。交換費用で合計50万円。6年目には修繕積立金の値上げで月額が2.5万円から3.8万円に。7年目で転勤から戻ったが、もう自分が住むつもりはなくなっていた。
7年間の収支を計算してみると、家賃収入の合計は約740万円。一方、管理費・修繕積立金・固定資産税・管理委託料・修繕費・入退去費用・所得税の合計は約580万円。7年間の手残りはわずか160万円だった。
そして築22年になった物件の売却価格は1,900万円。7年前に2,800万円で売れたはずの物件が、900万円も値下がりしていた。手残り160万円を足しても、7年前に売却して運用していた場合と比べて約660万円のマイナス。
Cさんは「最初から売っておけばよかった。管理会社との電話対応や確定申告の手間も考えると、賃貸に出したメリットは何もなかった」と振り返っている。
実例:好立地で賃貸に出して成功したケース
渋谷区の駅徒歩3分という立地は圧倒的に強かった。退去後も1ヶ月以内に次の入居者が決まり、5年間で空室はわずか2ヶ月。表面利回りは4.8%と特別高くはなかったが、空室損失がほぼゼロだったため実質利回りも高かった。
5年間の家賃収入は約1,050万円。経費の合計は約390万円。手残りは約660万円。しかも渋谷区のマンション相場はこの5年間で上昇し、5年後の査定額は4,800万円。物件を持ち続けたことで、資産価値も300万円増えた。
5年間の手残り660万円+資産価値の上昇300万円で、賃貸に出した効果は約960万円。売却して年利2%で運用した場合の利益(約460万円)と比較して、賃貸が約500万円有利だった。
ただしDさん自身も「これは立地に助けられた。郊外のマンションだったら絶対に売っていた」と語っている。
感情ではなく数字で判断する
「せっかく買った家を手放すのはもったいない」「家賃収入が入るなら持っていたほうが得」——こうした感情的な判断で賃貸を選ぶ人は少なくない。しかし、不動産は金額の大きな資産だ。感情で決めるには、リスクが大きすぎる。
判断の手順はシンプルだ。
- 現在の売却査定額を確認する(複数社に依頼)
- 想定家賃を周辺相場から算出する
- 年間の経費(管理費・修繕積立金・固定資産税・管理委託料・火災保険)を合計する
- 10年間の修繕費・入退去コストを概算する
- 不動産所得にかかる税金を計算する
- 10年後の想定売却価格を見積もる(築年数の加算を反映)
- 売却→運用の場合と比較する
この計算をすると、多くのケースで「思ったほど賃貸は儲からない」ことがわかる。表面利回り4〜5%の物件は、経費と税金を差し引くと実質利回り1〜2%程度になる。さらに物件価値の下落を考慮すれば、売却して安全な金融商品で運用するほうが合理的だ。
もちろん、先ほどの渋谷区の事例のように、好立地で値上がりが期待できる物件は例外だ。しかし、それは全体から見れば少数派だ。自分の物件が「例外」に該当するかどうかは、データと数字で冷静に判断してほしい。
不動産を持ち続けるコストの詳細については不動産を「持ち続けるコスト」を年間で計算してみるを、売り時の判断については不動産の「売り時」は本当に存在するのかも参考にしてほしい。お住まいのエリアの不動産相場は都道府県ページから確認できる。
この記事のまとめ
- 3,000万円の物件で10年シミュレーションすると、売却→運用が賃貸→10年後売却より約192万円有利
- 表面利回り4.8%でも、経費・空室・税金を差し引くと実質利回りは1〜2%程度に低下する
- 10年間で築年数が上がると物件価値は20〜40%下落。この下落分が賃貸の最大のリスク
- 賃貸が有利なのは好立地・高利回り・値上がり期待・一時的転勤の限られたケース
- 住宅ローンが残っている場合、無断賃貸は契約違反。金融機関への相談が必須
- 入居者トラブル・設備故障・確定申告など、数字に表れない負担も考慮すべき
- 売却か賃貸かは感情ではなく数字で判断。10年間のトータル収支を計算してから決める